2024年5月21日&22日&25日 劇団四季『ゴースト&レディ』




ゴースト&レディ
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ゆうき
ゆうき

岡村美南さんデオンが戻ってきました!

日時:2024年5月21日ソワレ公演、22日マチネ公演、25日マチネ公演
場所:四季劇場[秋]




はじめに

今回のキャス変はまた開幕キャストがずらりと戻ってきました。瀧山さんが『アラジン』に出演しているので、ジョン・ホールのみ万寿夫さんが引き続き出演。この作品に関しては最初の数週間はキャストローテが固定なのかな~なんて思っていますが、色んなキャストの組み合わせで観るのが楽しみです!

さて、岡村さんが戻ってきたので私も栃木から東京に居住を戻しまして、観劇週間です!

そして今回は25日に母と妹も連れて観劇してきました。せっかくならかっこいい岡村さんデオンを観てほしいなと思って前予にチャレンジしたんですけど、無事に2連番でチケットを確保できたので良かったです。

ちゃんと原作も読み終えたので、今回からは原作を踏まえての感想も書いていこうと思います。そして回数を重ねてきたのでようやく色んな考察とかもしながら楽しめるようになってきました。今回は自分なりの解釈とか色々織り交ぜながら書いていくので、ぜひ最後までご覧ください!

総評

まず原作を読んだことで作品そのものへの理解が深まりました。なぜグレイは今も決闘代理人のようなことをしているのかと思っていたんですけど、「生前の習慣」なんですね。「決闘を申し込む」とわざわざ言うのも、原作でグレイが「よって名誉の章典にしたがい、君に私を殺害する機会を与えよう」というセリフを発するのを取り入れていたんだなぁ…って。フローの家族から出てくる大きな化け物のような影も、すべての人間にある「生霊」だということを理解しました。

逆にアレックスとエイミーがオリキャラだったということや、デオンの設定が変更になっていること、色んなシーンがカットされていたりどういうふうに表現されていたり…など、原作と照らし合わせながら舞台版の本作を楽しめたので、個人的には原作未読の状態でまず舞台版を100%楽しめて良かったなと思います。

そのうえで改めて思い返すと、真瀬さんフローが物凄く表情豊かだったのは原作のイメージを大切にして演じられていたからなんだな…というのも理解しました。原作がある作品はね、やっぱり原作へのリスペクトがあってこそ成り立つものだと思うので、こうした真瀬さんのアプローチは素敵だなと1週間遅れですが実感しました。もちろん、志音ちゃんフローの芯の強さや目力はまさに原作のフローそのもので、それぞれお芝居のアプローチは違うんだけど、ちゃんとフローとして成り立っているのが凄いと思います。

ビジュアル面でいえば萩原さんグレイは原作からそのまま飛び出してきたと思うほどにイメージにピッタリだったし、万寿夫さんジョン・ホールも凄く原作のビジュアルに雰囲気が似ていてビックリしちゃいました。デオンは原作だとかなり女性らしい格好をしているうえで「男でも女でもない」という無性別な設定なので、舞台版のほうが無性別な印象があるようには見えました。設定自体いじっているしね。シュヴァリエ・デオンという実在した人物にかなり沿ったキャラクターとして舞台版では描かれています。

そういう意味で、男でもあり女でもある舞台版のデオンは男役として華のある岡村さんデオンがまさにビシッと決めてきていてさすがでした。原作の女性的なデオンは宮田さんのほうがイメージとしては近い印象がありますし、デオンに関してもそれぞれのアプローチで両者の魅力があって素敵だと思います。

これまで四季はアニメや映画などの映像作品を舞台化することはあっても、漫画の舞台化は初めてだったので、二次元のキャラクターに初めて声や動きがつくという部分で非常に興味深いキャスティングでした。大きくイメージが乖離しているキャスティングは特にないようにも感じますし、劇団四季ファンとしての印象では凄く大成功したメディアミックスのように感じました。もちろん原作の大ファンから観たときにどう感じるかはまた別の話だと思いますけどね。

逆に、原作ファンの方の感想を読んだときに「なるほどそういうことか!」となることも多くて、色んな人の解釈を知ることで解釈の幅が広がるのも凄く面白く感じました。舞台ファンだからこその視点、原作ファンだからこその視点がそれぞれあって、知れば知るほどこの作品の面白さにずぶずぶとハマっていくのを感じます。

そういう部分も踏まえ、今週分観てきて私が感じたことなどを書いていきます!

まずフロー。志音ちゃんフローはとにかく芯の強さと目力の強さが印象的でした。真っ直ぐで揺るがない瞳はまさに原作のフローそのもの。自分の信念に従って真っ直ぐに貫こうとする意志の強さは非常に眩く感じて、エイミーがフローに対して羨望と同時に劣等感を抱いてしまうのも理解できます。志音ちゃんフローの持つ眩い希望の光は、みんなを明るく照らしてくれる太陽のようでした。

同時に、それだけ眩しい存在であるがために孤独でもあって。孤独というより孤高の存在というのかな。誰も志音ちゃんフローにはなれない、唯一無二の存在。みんなついてきてくれるけど、隣に並んでくれるわけじゃない。志音ちゃんフローの「孤独」のイメージとしてはそういう印象です。だからこそ儚いヒロイン像が非常に似合っていました。

一方、真瀬さんフローは寄り添うようにみんなに接しているので非常に親しみやすさがあります。母性を爆発させた、頼れるお姉さんのような存在。だからこそ、みんなが隣に並んでくれる。真瀬さんフローはみんながいるから強くなれるフローだなと思いました。ここが志音ちゃんフローとの大きな違いのようにも個人的には感じられます。

これを踏まえて、フローが大きく絶望する瞬間の違いについても私なりに解釈しました。シスター・メアリが犠牲になり、エイミーとアレックスが結婚するためにクリミアを離れ、大切な人たちが次々と去っていくことに絶望を覚えたフローですが、志音ちゃんフローは大切な人たちが去っていくことをきっかけに「自分は孤独だったんだ…」と気付いて絶望する印象があります。自分が信じて歩んできた道に、みんながついてこれるわけではなかった。真っ直ぐ前を向いて歩いてきた志音ちゃんフローだからこそ、ふと振り返ったらもう誰もいなかった…みたいな。強い人だからこそ孤独であり、気付いたときには誰もついてこれなかった。そういう印象がありました。

真瀬さんフローは寄り添いみんなと歩幅を合わせるようにして歩んできた人だから、みんながついてきてくれた。でも、様々な事情でみんな去ってしまった。だから、もう隣には誰もいない…という寂しさゆえに絶望する印象があります。真瀬さんフロー、まだ1回しか拝見できていないのでふんわりとした印象のうえで解釈しています。

常に孤独だった志音ちゃんフローには、グレイの存在が非常に心強かったでしょう。グレイがいるから、自分も自信を持って自分が信じる道を歩めたんだと思います。志音ちゃんフローにとってグレイは「前に進む勇気」を与えてくれる存在なんだなというのが強く感じられました。なので、個人的には志音ちゃんフローのほうが、グレイとの絆の強さを感じやすい印象がありました。

そしてジョン・ホールと対峙して、希望を見いだす瞬間のフロー。「私が死んでも誰かが歩くでしょうこの道を~」と力強く歌いますが、志音ちゃんフローは未来を見据えて歌う印象がありました。このとき、志音ちゃんフローが歌う「誰か」は誰を思い浮かべているのか、明確な顔は浮かんできません。それでも、顔の見えない誰かに希望を託していて、看護の将来は明るいことを信じて疑わない真っ直ぐさが感じられました。志音ちゃんフローのパワフルな歌声も相まって、ここのフローはジョン・ホールを飲み込むほどの迫力を感じられていつも痺れていました。毎回歌声がブレないのはさすがとしか言いようがありません。

そして真瀬さんフローの歌う「誰か」には、共に歩んできた仲間たちの顔がなんとなく浮かぶんです。仲間想いで優しい真瀬さんフローらしいなと思います。前回、真瀬さんフローを観たうえで今回志音ちゃんフローを観て改めて感じた両者の違いはこんな感じでした。

だから、どっちが良いとかどっちが劣っているとかそういう話ではなくて、両者それぞれまったく違うタイプで面白いなと感じたんです。好みはあるでしょうけど、どちらもフローとして間違っていないというか、それぞれに魅力があるな~と思えて楽しかったです。

でね、フローとグレイの絆の強さも今一度強く感じられたのが今週の観劇でした。原作以上に愛の深さが描かれているのは、グレイがフローのために芝居に仕立ててフローの物語を書きあげたっていう設定が大きいですね。25日のときに改めてグレイのフローに対する愛情の深さを感じられて、とてもグッと来たんです。何度も裏切られてきたグレイにとって、「信じる」ということがどれほど怖いことなのかは明白ですが、それでもフローを信じ、愛してきたのが萩原さんグレイの声や表情などから伝わってきてとても良かったです。

フローが旅立って、グレイが観客の私たちに話しかけます。そのとき、誰もいない劇場で天国にいるフローにも「フロー!観てたか?」と呼びかけます。もちろん返答はないので、ああもうこの世にフローはいないんだ…という実感が込み上げて寂しさが募ります。そして、グレイが客席を降りて劇場を去っていくと同時にフローが舞台奥から登場するんですけど、このときのフローは去っていくグレイの姿をずっと見つめているんです。このフローの表情を観て、フローも天国から観てくれていたんだなというのが伝わってきました。

しかもこのとき、フローはグレイがサムシング・フォーとしてプレゼントしてくれたランプを持っています。ランプは2人を繋ぐキーアイテム。きっと何年、何十年、何百年経っても2人の想いはランプを通じて繋がっているんだろうなと思いました。

私たち観客にグレイの姿が見えた。それまでグレイはずっとこのときを待っていたんですよね。人間と話すのは150年…いや200年ぶりだ、みたいなことを言いますけど、フローが旅立ってからそれくらいの月日が経っているってことですよね。その間、グレイは誰とも喋らずにただただその日を待ち続けた。自分が作った物語を見届けてくれる誰かが現れるのを。

自分の姿が見える人間に出会えないと、自分が作った芝居を観せることもできないだろうから。そこまでして、フローの物語を誰かに伝えたかったんだと思うと、もう愛でしかないんですよね。フローと別れてまで「どうしてもやりたいこと」だった、フローの物語の執筆。

そしてやっと芝居を上演できて、やり残したことはないグレイはやっと旅立てたんだと思います。グレイが旅立ったのは果たして天国なのか地獄なのか、それは人によって解釈が異なるだろうけど。グレイは自分のことを「役者」と言っていましたが、役者が客席を降りるということは、役者としての使命を果たし終える=旅立つことを意味するんだと思います。そして、何百年も経った今でもフローはあの世でグレイを待ち続けていて、グレイのことを見守っていたんだなと思うと、もう…本当にお互いがお互いのことを「信じて愛していた」んですよね…。壮大な愛の物語でした。

舞台化にあたってフローとグレイの恋愛をどうするかについては原作者さんと制作サイドで結構意見が食い違ったそうですが、舞台版としては凄く綺麗な構成になったんじゃないかなとイチ観客として感じています。お芝居という部分でまとまりもあるし。親和性が非常に高くて、舞台版ならではの『ゴースト&レディ』の魅力を強く感じられた観劇になりました。

そんな美しいフローとグレイの関係性と同時に、私はグレイとデオンの関係性もめちゃくちゃ好きだなと再認識しました。萩原さんと岡村さんが演じているからというのも関係してはいますけど、キャラクターとしての関係性も凄く好きです。もちろんね、長年共演してきた萩原さんと岡村さんなので、お芝居においても息がピッタリで決闘のシーンも凄く迫力のあるアクションになっているのが素敵でした。そういう意味で、やっぱり萩原さんと岡村さんの組み合わせは見応えのある掛け合いになっていて、私としては大満足です。

ちなみに、演劇の研修所に通って殺陣やアクションなども学んでいる妹に萩原さんと岡村さんの殺陣やフライングなどのアクションについて色々聞いていたんですけど、どういう道理で凄いのかっていうのを教えてくれてタメになりました。殺陣も下半身にしっかり重心があるから体がブレないとか、インナーマッスルがどうとか、フライングも普通は上空でとどまっているのはむしろ難しくて一度回転したら遠心力で止まれなくなるけどその点俳優さんたちの技術はこうで~とか、色々しっかり解説してくれてました(笑)素人目線だとただただ「すげー」という感想しか出てこないので、プロセスも含めてアクションを行う2人の凄さを再認識できたのも良かったです。

で、話を戻しますが、グレイとデオンは生前から因縁関係にある2人。無敗だったデオンにとってグレイは殺してきた数多いるうちの1人に過ぎなかったでしょうけど、グレイにとっては自分を殺した相手なので非常に憎い存在。再会したデオンは「あの腑抜けか!」とグレイを酷評するし、そんな腑抜けがクリミアの天使に取り憑いているのだからそりゃ笑っちゃいますよね。

どういうトリガーで人がゴーストになってしまうのかはよく分からないんですけど、この作品において登場するゴーストはグレイとデオンの2人だけ。デオンは死後40年?色んな人に取り憑いてきた~みたいなことを言いますけど、その間他のゴーストには出会ってないのかな。そしてたまたま出会ったゴーストが、自分が殺した相手だったというなんとも皮肉な運命の2人です。

なので、生前のデオンを知っているのは今やグレイだけ。デオンの弱みを知っているわけですよね。「お前、女だったんだな」と指摘されたときのデオンの狼狽っぷりからするに、相当自分の性にコンプレックスがあるわけで。ゴーストとして生きてからの40年間、本来の姿に戻っていることに絶望はしたものの、誰一人として自分が女であることを指摘する者はいなかったでしょうし、自分自身もそのことを忘却の彼方へと追いやっていたんじゃないかなと思います。

デオンが腑抜けと酷評したゴーストが、クリミアの天使に取り憑いているだけでなく、自分が「女」であることを再認識させるきっかけを作ったとなれば、グレイに対する憎しみの思いは強くなるでしょう。眼中にもなかった相手がライバルとして立ちはだかる、まさに少年漫画の激アツ展開です。

グレイと再び対峙したデオンは、タンゴ調のナンバーで自分の過去を歌い、踊ります。このデオンナンバーの意味が今まで分かりかねていましたが、おそらくデオンの誕生から現在までの人生を綴ったデオンなりの物語を表現しているんだろうなと感じました。女として生まれ、仮面をつけて男として育ち、シュヴァリエ・デオンとして華々しく活躍し、もがき苦しむように孤独死を遂げ、ゴーストの姿になって女として再生してしまい絶望するも、次の瞬間には結末をやり直すというリベンジの決意に闘志を燃やす。走馬灯のようなデオンの人生をダンスで表現しているんだと思います。

それをわざわざグレイに見せつける形で披露したというのは、デオンの心に火をつけたってことなのかなと。相手にもされていなかったグレイが、デオンにライバルとして認識された瞬間かもしれないですね。そしてデオンは名誉ある最期にこだわっているので、きっとただフローを殺すだけじゃ物足りないんですよね。その証拠に「もっと強くなれ!彼女を守りたいなら」とグレイに言って、その場を去っていきます。華々しく散るために、シュヴァリエ・デオンとしてもう一度再起し、グレイと決闘でやり合った末にクリミアの天使を抹殺したいんですよね、きっと。

同時に、デオンもまたグレイの過去を知る唯一の存在。女に裏切られて死んだ哀れな男とでも思っているでしょうけど、懲りずにまた女を守ろうとするグレイのことが不思議で仕方ないでしょうね。なぜグレイが自分の霊気を使ってまでフローを守ろうとするのか、なぜそこまでしてフローを信じるのかも不思議に感じていたと思います。同時に、それほどまでグレイが守りたいと思うフローという女に対して、デオンは凄く惹かれていたと思います。

そして最終対決。霊気がほぼ残っていない瀕死のグレイ相手に、最初こそ優勢を保つも最終的にデオンは心臓を貫かれます。きっと普段のデオンならそんなヘマ絶対にしなかったはず。なんなら、生前に殺す際に「期待外れだったな」とまで捨て台詞を吐いた相手にトドメを刺されるなんて。でもあの頃、裏切られて絶望し切っていたグレイと、フローを信じ続ける今のグレイとでは、手応えが全然違っていたんでしょう。

グレイは本来腕の立つ決闘代理人だったわけですが、あのときはシャーロットに裏切られて絶望していたのであっという間に殺されちゃったんですよね。でもきっと本来は互角か、デオンのほうが少し上なくらいで、決闘士としての実力は微々たる差なんだろうな。そして、フローがいることで強くなれたグレイは、今やデオンよりも上になった。それほどまでに「信じる」ということはその人にとって希望となり、力を与えてくれるんだな…と。デオンはグレイに負けたのではなく、グレイとフローの絆に負けたんだなと思います。

このとき、背中合わせになる萩原さんグレイと岡村さんデオンの表情がめちゃくちゃ好きです。「僕の最期は、天使を信じたシアターゴーストか。悪くない…」という岡村さんデオンの表情、もうさ…凄く満足したような顔してんの。そして、期待外れで腑抜けと評したグレイに対して「悪くない」というの、あまりにも最大の賛辞じゃないですか。あれだけ自分の最期にこだわっていたデオンが、グレイにトドメを刺されて「悪くない」っていうの、あまりにもクソデカ感情だと思ってます。

「強くなったじゃないか」というグレイへの賛辞とともに、「信じる」ということがどれほど人を強くさせるかを身をもって実感し、さらに最期にもう一度シュヴァリエ・デオンとして本気で決闘できたことがデオンの心を満たしたのかなと思います。デオンにとって、自分が本気になるほどの相手に出会えたのはもしかしたらこれが初めてだったのかもしれない。

強いからこそずっと孤独だったデオン。ああ、志音ちゃんフローとどこか重なるなぁ…。でもフローと決定的に違うのは、自分だけを信じ続けてきて他の誰も信じてこなかった点。デオンは女として世間から見下され、自分を守るために男として生き、強くなった。人を利用し利用されながら生きてきたから、「信じる」ということをバカバカしく感じていたのかもしれませんね。でもフローとグレイの絆を目の当たりにして、今までにない人間的な感情が最期の最期でようやくデオンの中にも生まれたのかもしれないなぁ…と思いました。

そして、生前のグレイとデオンの最期の言葉が「期待外れだったなぁ。アデュー、グレイ…」だったのに対し、ゴーストとしてのグレイとデオンの最期の言葉が「悪くない…」「アデュー、デオン…」なのがあまりにも対比として完璧すぎて…!!!生前はデオンがグレイを踏みつけるという「最大級の侮辱」の構図で放った言葉ですが、ゴーストとしての最期は背中合わせの構図。背中合わせって色んな意味があると思うんですけど、無防備な背中を相手に預けるということから「最大級の信頼の証」という意味を持つこともあるそうです。あああ、グレデオ………この対比がもうグレイとデオンの関係性の変化をすべて物語っていますよね。

デオンにとって本来の望んだ形での最期とはなりませんでしたけど、どこまでもバカ正直にフローを信じたグレイに殺されるということは少なくともデオンにとっては名誉に感じられたんだな…と思うと、デオンのグレイに対する決闘士としての信頼を感じられて、めちゃくちゃ悶えた1週間でした。

そしてこのグレイとデオンを萩原さんと岡村さんで観られるということが、やっぱり私にはどうしても特別に感じてしまって、本当にこの2人が演じてくださって嬉しかったです。次、舞台写真付きのパンフが発行される際には絶対に萩原さんグレイと岡村さんデオンの背中合わせの写真が載ってほしいです。これはマジで切実なお願い。載らなかったら絶望しますからね!!!!

そのうえで、カーテンコールでデオンに贈られる拍手の厚みにも言及したくて。カーテンコールに登場するデオンを「デオン本人」と捉えるか「デオンを演じた役者」として捉えるかは人によって認識が異なると思うんですけど、カテコで色んなキャラクターが登場する中でデオンに贈られる拍手が特大に感じるんですね。拍手って観客の想いや熱意がそのまま伝わるので、デオンにあれだけ大きな拍手が向けられるということは、それだけデオンが観客を魅了したってことなんだと思います。あれだけ多くの観客を魅了したという事実は、デオンにとってまさに「名誉」と言えるんじゃないかなと思って…。このカーテンコールも含めて、デオンにとっては華々しい活躍、華々しい最期になったんじゃないかなと感じました。

グレフロが尊いのは大前提として、グレイとデオンの関係性も凄く好きだなと感じられた今週の観劇でした。前方席で観られたのもあって、表情もしっかり堪能できたし、回数重ねていくことで視野も広がっていったので自分なりに解釈を深められて良かったです。岡村さんデオンも本当にかっこよくて、観るたびにさらに好きになっちゃいますね。改めてこんな素敵な役を演じてくださって、ありがとうございました。

そして私ももっと原作を読み込みつつ、観劇の回数も重ねてもっと作品そのものを自分なりに咀嚼して解釈を広げていきたいなと思います。おかげさまで観るたびにこの作品のことが好きになっていくので、また劇場に足を運べる日が楽しみです!

5月21日(火)ソワレ公演

1階6列センターでの観劇でした。秋劇場って傾斜は何列目からついてたっけ~と不安もありましたが、6列は微々たるものですが一応傾斜がついていました。なので下手に5列で観るよりも観やすいんじゃないかな…。あとは前方に座高の高い人が座らないことを祈るばかりです。

1週間ぶりとはいえ、先週ガラッと違うキャストで観劇していたのもあって、やっぱり開幕週キャストは全然タイプが違うな~と今一度新鮮な気持ちで観劇できました。岡村さんデオンの声が響き渡るだけで胸が高鳴るし、姿を現わせば全身からアドレナリンがドバッと溢れて大興奮状態になるし。贔屓のいる観劇は最高に楽しいです。

今回は特に大きなハプニングなどもなく、スムーズに進んだように思います。強いて言えば、カテコで岡村さんが3回お辞儀するところを2回だと思っていたようで、3回目のときに遅れてペコって頭下げてて客席から笑いが起こっていたってことくらいかな(笑)相変わらずの岡村さんでほっこりしました。

5月22日(水)マチネ公演

1階4列センターでの観劇でした。過去5回の中で一番近い席でしたが、この作品は近いと逆に見づらいな…という印象がありました。もちろん俳優さんの表情を堪能するには申し分ないんですけど、左右にも上下にも大きくステージを使うので距離が近いと首を大きく動かす必要があってちょっと疲れました。

サイドはまだ座っていませんが、終盤の決闘シーンでフライングするグレイとデオンは上手寄りセンターで結構ギリギリだったので前方サイドに座っちゃうと一部見えない瞬間もあるんじゃないかな…。舞台袖のセットが結構せり出しているのもあって、舞台後方のシーンはセットで隠れちゃいそうだなと今回観ていて思いました。

あと、秋劇場ってこんなにステージ高いんだっけ!?となるくらい高く感じたんですが、私の首のヘルニアが治ってないせいかもしれません(笑)

そして近い分、舞台前方に立っている人で後ろの人が被って見えないといったシーンも多く、見やすさの点ではもう少し後ろのほうがいいかもな~と思うなど。でも、それより個人的には生前の男だったデオンが上手側に立つので近くで観られて幸せでした。生前のデオン、本当にかっこよくて好きなの…。こんな近くでかっこよすぎる岡村美南さんデオンを堪能できて大満足です!

それに今回は上手寄りで通路の近くだったので、ラストで客席を降りてくる萩原さんグレイを間近で堪能できました。涙ぐみながら笑っている萩原さんグレイの表情を観ているとこちらまで涙腺がグッと来てしまいます…。本当に萩原さんグレイ素敵でした。

今回はセリフ嚙んじゃったり一瞬セリフが飛んだっぽい瞬間があったり、小さなハラハラはありましたが、一番ハラハラしたのはデオンの早着替えです。早着替えといっても2分?くらいはあるんですけど。生前のデオンが去って、現在のデオンが登場してくるところは本当にすぐでして。早着替えといっても衣装を着替えるだけじゃなくてカツラも変えるんですよね。カツラってそんなすぐにセットできるもんなんですか!?

そんな全身の早着替えがあるわけです。で、フローの書斎のセットに隠れるようにして登場してくるんですけど、テーブルが先に登場するも書斎のセットがなかなか登場してこなくて。「あ、着替えがもしかして間に合ってない!?」と勝手にハラハラしてました。ちょっと遅れて書斎が運ばれてきて、その直後にデオンが登場しました。かなりタイミングとしてはギリギリだったと思います。音楽が流れていて、音楽に合わせて登場する流れなので、ここタイミング的に逃せないんですよね。いつも凄いな!と思いながら観ていたので、やっぱりこういうことも可能性としてはゼロじゃないよな~とある意味納得でした。ひとまず何事もなくて良かったです!

ちなみに、今回はグレイがデオンと共に消え去ってフローが絶唱して幕が下りた瞬間に拍手が起きました(笑)いや、あれ初見だとあそこで終わりかと思いますよね。あそこで終わったらあまりにも絶望すぎるけど(笑)

5月25日(土)マチネ公演

1階4列センターからの観劇でした。この日は母と妹と観劇で、母と妹は前予で取れた9列センターに座っていました。22日の感想で近すぎると見えにくいって書きましたが、それも慣れというか…今回はそこまで気にならなかったです。前回より少しセンター寄りになったからなのかな。

さすがに萩原さんがお疲れになってきている印象はありましたが、全体的には凄く良い公演だったと思います。岡村さんデオンはちょっとずつセリフの言い方のニュアンスが変わってきたりなどして、もしかしたら誤差の範囲内かもしれませんけど、凄く魅力が増していました。相変わらずかっこいいし、拍手も人一倍大きいのでなんだか勝手に誇らしい気持ちになっています。

母も妹も大満足で、岡村さんかっこいいとも言ってくれたので娘としても大満足。ちなみに母は木村奏絵ちゃんエイミーの透き通った歌声が好きになったそうです。妹は萩原さんグレイが出ていないときはずっとまちまりさんを追っていたそうで(笑)それぞれ好みが違い過ぎる家族でした。

今週のキャストで観てほしかったので、志音ちゃんフローの歌の上手さにも驚いていたし萩原さんグレイのかっこよさも岡村さんデオンのかっこよさも体感してもらえて良かったです!

まとめ

原作を読んだり、色んな人の解釈に触れたりするなかで、自分なりにもこの作品を解釈していって凄く濃密に楽しめた1週間でした。とっても楽しかったです。個人的に好きなキャストも多く出演していて、正直目が足りなくて…。何度でも観たいけどチケットが取れないし、なかなかもどかしいです(笑)

そして今週の3回を見終えて、岡村美南さんを拝見したのは259回となりました。年内にあと41回観たら通算300回です。やばいね。41回も観れるかな…(笑)

とにかくこの作品のこともキャラクターたちのことももっと知りたい。そういう欲求が沸々と湧き上がっているので、チケットが取れる限りは劇場に通いたいと思います。

今回もだらだらと長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!

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