【『ライオンキング』演出家】ジュリー・テイモア氏特別講演会レポ

演劇・ミュージカル関連
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2015年にミュージカル『ライオンキング』の演出家であるジュリー・テイモア氏が来日し、劇団四季の『ライオンキング』を鑑賞しました。それに伴い、特別講演会を開いてくださったのです。


講演会への参加は抽選。無事に当選し、テイモア氏の講演会に参加していた当時大学生の私が残したレポが過去のブログにあったので、それをリライトしてこちらに整理しておこうかと思います。

日時:2015年8月27日
場所:四季劇場[春]
座席:1階J列14番

※かなり元記事も雑なレポだったため、分かりにくい部分があるかもしれませんがご容赦ください。

ジュリー・テイモア氏とは?


そもそもジュリー・テイモア氏って誰?という方も多いと思うので、簡単にプロフィールをご紹介します。

ジュリー・テイモア氏はアメリカの舞台演出家・映画監督です。舞台ファンからすると最も馴染みがあるのはBroadway musical『THE LION KING』の演出家という点でしょうか。『ライオンキング』と言えば、日本では劇団四季で1998年の初演以来ロングランが続いている大ヒットミュージカル。あの作品に登場するパペットを生み出したのも、ジュリー・テイモア氏です。

他には映画だと『タイタス』や『テンペスト』、舞台だと『The Green Bird』や『夏の夜の夢』といった作品を手掛けています。様々な作品でトニー賞や衣装デザイン賞などを獲得してきた、ミュージカル界の”天才演出家”とも言える女性なのです。

ジュリー・テイモア氏の講演会内容

さて、ここから時は2015年8月27日にタイムスリップします。時系列がぐちゃぐちゃで読みにくいかもしれませんが、ジュリー・テイモア氏の講演は本当に素晴らしいものだったのでぜひ最後まで目を通していただけますと幸いです。

そもそもテイモア氏が日本で講演を行うきっかけとなったのは、国際交流基金の招聘によって来日したからでした。2015年7月15日に日本で『ライオンキング』が日本公演通算10,000回を達成したのもあり、その記念として劇団四季の『ライオンキング』を観劇。そして、特別に講演会を開いてくださったのです。

当時の私はテイモア氏の名前や功績を軽く知っている程度の大学生でしたが、このまたとないチャンスを逃すわけにいかないと思い、講演会に参加してまいりました。

講演会の会場は、今はなき四季劇場[春]。元々1998年からずっと『ライオンキング』を上演し続けてきた劇場でした。ちなみに2020年に新しく作られる四季劇場[春]では新作ミュージカル『アナと雪の女王』が上演されます。

17時から受付を開始し入場。講演自体は17時40分に開始され、終了予定時刻は18時30分だそうでしたが当時の他の方のレポを見てみると20分ほど押したそうなので、実質18時50分終了。

ちなみにこの講演会には安倍寧さんや『ライオンキング』『アラジン』カンパニーの方々もいらっしゃり、関係者に囲まれてかなり緊張感のある空間でした。

この1時間10分という長いようで短い時間の中で、テイモア氏は「自分がどのようにして演劇を作るのか」「『ライオンキング』における演劇の魅せ方」「演劇の役割」などを話してくださいました。当時のレポを読み返してみても、本当に貴重なお話が聴けたなと実感しています。

講演自体はしっかり連続性のあるものでしたが、読みやすさを重視してある程度まとまりを持たせてセクションごとに紹介していきます。

テイモア氏の登場

テイモア氏が登場する前に、簡単なテイモア氏の紹介映像がスクリーン上に流れました。映像の上映時間は約3分程度。これまで手掛けてきた作品を演劇・映画問わずダイジェストで流していったのですが、「こんな作品もやってたのか」と驚きの連続だったのを覚えています。


そして映像が終わるといよいよテイモア氏の登場。スラッとした体型でスタイルの良さが際立つ、かっこいい女性という印象でした。当時60代前半でしたが、とても若々しくてエネルギッシュな方でもありました。

まず「皆さんこんにちは」と日本語で挨拶をするテイモア氏。以降はご自身は英語で話され、通訳の方を通して日本語で聞き取るという流れの講演です。英語ができたらなぁ…と思わずにはいられませんでしたね。

どのようにして演劇を作っていくのか

テイモア氏が20代の頃、インドネシアに行ったことがあるそうです。予定では3ヶ月の滞在だったのですが、インドネシアに魅力を感じて、結果として4年も滞在しました。

当時のインドネシアにはテレビや映画がなかったため、演劇がとても大切なメディアでした。

一方、テイモア氏が住んでいたアメリカでは、演劇というのはプラスアルファのメディアだったそうです。そのため当時のアメリカには「アーティスト」という言葉も存在していなかったのです。だからテイモア氏は、インドネシアで演劇が演劇として機能していることに衝撃を受けたみたいです。

そしてオリジナルの演劇を創っていたときに旅に出かけていたテイモア氏は、観光客が来ないような村にたどり着きました。(恐らくこちらも行先はインドネシアだと思いますが、当時のレポには記されていませんでした。)テイモア氏は、そこでも演劇にまつわる貴重な経験をされたそうです。

誰もお客さんがいないにも関わらず、20人程度の男性たちが踊り始めたとのこと。月明りに照らされながら踊る男性たちは、まるで神様にパフォーマンスしているかのような宗教的、精霊的なものに感じられたそうです。また衣装のディテールにも衝撃を受け、こういった体験はすべてテイモア氏が演劇を作る上でインスピレーションを与えるものとなりました。そしてこの体験から、以前日本に来たときのことを思い出し、演劇を作る上でやるべきことに気付かされたテイモア氏。

大元をたどれば、演劇とは「宗教的」なものであった。そう語るテイモア氏は『ライオンキング』を例に解説してくださいました。


ライオネス(雌ライオン)がしているコルセットにはプラスチックではなく本物の貝殻のビーズが使われています。しかしそれはたとえ最前列に座って観劇していたとしても、お客さんには分からないほどのディテール。だけど衣装を身に着けているダンサーさんはそれを知っているからこそ、役に魂がこもって踊りにエネルギーが漲るんだそうです。

またインドネシアで学んだのが「影絵」。お客さんから見えるのは影だけですが、実際には動かしている人形には細かく色が塗られているのです。お客さんには分からない、でも影絵を動かしている人はそのことを分かっている。

こうした経験が『ライオンキング』にはふんだんに活かされています。このように、俳優は衣装を身に着けることで役に魂を込める。だからディテールにもこだわる必要があり、作品そのものを作る過程はとても大切なのだとテイモア氏は仰っていました。

演劇はポエトリー

テイモア氏によれば、演劇の凄いところはポエトリーな詩の部分。過去のレポにこの意図が明記されていなかったのですが、要するに演劇によって発せられるメッセージを我々観客が受け取り、受け入れることによって初めて「作品」が成り立つという考えだと思います。この考え方をテイモア氏は再び『ライオンキング』を例に紹介してくださいました。

大草原の中をムファサとヤングシンバのパペットが走っているシーンがあります。(マスクをつけた俳優ではなく、ムファサとヤングシンバの小さな人形が棒の先についていて、それを操る形のパペットのことを指しているのだと思います)ミュージカルでは草のセットがあるのではなく人間が草を演じているのですが、頭に草をつけただけというやや滑稽な状態です。そうやって草に扮した人の間を掻き分けるように、ムファサとシンバが追いかけっこをしています。このときに使われているのは映画でよく用いられる「ロングショット」という手法。

ゆうき
ゆうき

ロングショットとは、映画などで被写体を遠くから撮影すること。被写体が周辺環境で小規模に見えるショットのことです。

人間が扮した大きな草むらの中を、手のひら程度の大きさの小さなパペットが自由自在に駆け回る。これによってサバンナの広大さを観客に意識させると共に、まるで自分たちもサバンナにいると感じさせる効果が生まれるのだそうです。

このように作品によって発信されたポエトリーな部分を観客は潜在的に感じて、作品の中へ入り込んでいく。この考え方を完結させるためには、ステージに立つ人間だけではなくお客さんの存在が必要不可欠とのことでした。

『ライオンキング』のイデオグラフ

テイモア氏が学んできたことの中の1つに「イデオグラフ」というものがあります。イデオグラフとは、覚えやすくインパクトのある言葉やフレーズを政治的スローガンとして用いること。あまり日本では聴き馴染みのない言葉でしょうね。

テイモア氏が言うには、『ライオンキング』にもこのイデオグラフは存在します。この作品におけるイデオグラフを考えると、とてもシンプルな答えが出てきます。「サークル」です。

テイモア氏が作品を創る上でまず考えるのは、すべてを統括する根本的なシンボルやイメージだそうです。


『ライオンキング』では幕の冒頭から太陽が登場します。まん丸の形をした、まさに「サークル」です。ムファサのマスクやガゼルの車輪、2幕に出てくる水もまた「サークル」です。そして『ライオンキング』を象徴する曲と言えば、曲名にイデオグラフが含まれた「Circle of Life(サークル・オブ・ライフ)」もありますよね。

このように、『ライオンキング』にはあらゆる場面で「サークル」が使われているのです。創る側は、どうしてこのイデオグラフなのかを考えるとのこと。デザインのモチーフを考えるときに、メインのコンセプトは何なのだろうか…と考えるそうです。

ここは私の考察・補足部分に当たりますが、『ライオンキング』において「サークル」は命の循環を意味しています。作中でもムファサがシンバに命はめぐっているのだと説くシーンがありますが、『ライオンキング』では物語のテーマはもちろん台詞や歌詞の中でも「命はめぐる」という輪廻転生の概念が何度も強調されています。加えて細かいセットのディテールにもイデオグラフとして「サークル」が使用されていて、至るところで命の尊さを訴えていたんだなと強く感動しました。

『ライオンキング』の一番のコンセプト

テイモア氏が考える『ライオンキング』の一番楽しいコンセプトは、「見せる」ということだそうです。要するに、劇中に登場するパペットやマスクなどを体に装着している俳優の姿そのものを隠さないこと。

たとえばチーターは役者さんが実際にそこにいて演じているからこそ美しく映ります。そしてお客さんは劇場に入って客席に着くことで、そういった「見える」部分も自然に受け入れてくれます。それが演劇の美しいところで、物語同様そういった芸術の部分も皆さんは愛してくれているとテイモア氏は感じているんだそうです。

こうした手法は、かつてテイモア氏が日本で文楽を観たときに学んだとのこと。舞台上に人がいるにも関わらず、不思議なことに「見えない」という状況を学びました。これが『ライオンキング』に活かされているのです。

逆に映画ではリアリティーを追求するために、本来お客さんに見せちゃいけない部分を当然隠そうとします。例えば『タイタニック』は合成のシーンがありますが、ブルースクリーンの部分は絶対に映そうとしません。そもそも元々映画はロケに行くことが出来なかったのもあって、手法はとても演劇的だったのだそう。テイモア氏は、クリエイターとしてこうした演劇と映画の違いをしっかり意識していました。

テイモア氏のクリエイターとしての意識

テイモア氏は「演劇的な映像」「映像的な演劇」をやりたいそうです。

たとえばロングショットで例に挙げた『ライオンキング』のムファサとシンバが草原を駆け回るシーン。最初はムファサとシンバの小さい人形が草原を駆け回っていて、草が裂けると人形と入れ替わるようにしてムファサとシンバの役者さんが登場します。こういった演出は映像ではなく演劇だからこそ出来る手法です。

また『ライオンキング』のオファーを受けたときに、映画を観てヌーが暴走するシーンをどのように表現するか考えたというテイモア氏。このシーンはテイモア氏が『ライオンキング』を創る中で一番楽しかったシーンだと話していました。

舞台という空間であの迫力あるシーンを表現するために、パースを使おうと考えました。パースとは「遠くのものは小さく、近くのものは大きく」という遠近感を表す技法です。一番奥はパペットが巻かれたロール、その手前はダンサーさんたち、そして一番手前には大きなマスクを持った役者さん。こうしてパースを利用し、ヌーの大暴走シーンを見事に表現しきったのです。

テイモア氏は、「何も制限のない舞台を創りたい」と仰っていました。舞台にはすでに多くの制限があります。時間を飛躍することも、距離を伸縮させることもできません。しかし予め制限を決めつけるのではなく、「スタイル」という部分で制限を作っていくとのことでした。映像を使うということも「スタイル」という意味で手法の1つに数えられるそうです。

ただ、『ライオンキング』においては映像は使いたくなかったというテイモア氏。そのため、冒頭の太陽が出てくるシーンは映像で表現することも出来たのですが、それは選択しなかったのです。

では何で表現したかと言うと、竹にシルクを付けて太陽が昇っていく様子を表現しました。なぜ観客が感動するかというと、「太陽が棒(=竹)とシルクで出来ているから」とテイモア氏は言います。映像では感動はしないんだそうです。その理由として考えられるとすれば、映像で表現できるのは当たり前だからなんだと思います。だからそういう精神、つまり演劇という制限のある空間において「竹とシルクで出来たもの=太陽」と信じることがとても大切だと仰っていました。

テイモア氏はまた、小さな子どもが外に遊びに行かないで家でPCに向かってばかりという現状に悲しくなるとも話しています。実際に物理的に触れられるものがいかに大切かということをリマインドしていくのが大切。それができるのは演劇だけで、PCやテレビの前に座っているということではありません。演劇をはじめ、そういった空間に行って物理的に触れられるものを楽しむことの大切さがあることを強く訴えていました。だから、『ライオンキング』にはテイモア氏のそういう想いが至るところに込められているのでしょうね。

演劇の持つ力

そして最後に、テイモア氏は演劇の持つ力は本当に超越したものがあると話してくださいました。先述したように演劇の美しいところはポエトリーな部分と仰っていましたが、もう1つは何かを治す「癒やし」の部分だそうです。

ここでニューヨークでの『ライオンキング』のエピソードを語ってくれたテイモア氏。それはニューヨークで『ライオンキング』のミュージカルが始まった当初の頃のエピソードです。

ある家族がどうしてもチケットを入手できず、1年先の公演のチケットを買うことになりました。この家族には2人子どもがいたそうですが、この1年の間に2人のうちの子ども1人が亡くなってしまったそうです。そして1年後の観劇の日。こういった悲しい出来事もあり観劇する気分にはなれなかったそうですが、結局この家族は観劇することを決めました。


劇中、シンバがムファサに「ずっと僕と一緒にいてくれるんだよね?」と問いかけるシーンがあります。ムファサは「星を見てごらん。過去の偉大な王様が我々を星から見下ろしているんだよ」とシンバに話します。それから「They Live in You(お前の中に生きている)」が始まり、「お前の中に生きているんだ」という歌詞が登場。するとこの家族の子どもの男の子がお父さんのほうを見て、「サラ(亡くなった子ども)は僕たちと一緒にいるんだね。星にいるんだね」と言ったそうです。この瞬間、演劇が演劇として果たすべき役割を果たすことができたとテイモア氏は仰っていました。

人間が大変なとき、たとえば、誰かが死んだときや病気のときに、その理解しがたいことを理解させるために演劇がある

自分の創った作品によって誰かが癒やされたり救われたりしたのを知ったとき、テイモア氏はアーティストとしての存在意義を実感するそうです。これがテイモア氏の言う、演劇の持つ力でした。

テイモア氏への質疑応答タイム

素晴らしい講演の最後に、参加者からの質問を募集してテイモア氏が答えるという質疑応答の時間が設けられました。時間の関係で質問者は4人。いずれも素晴らしい質問、そして素晴らしい回答だったので紹介していきます。

1:歌舞伎を使った作品を今後やることは考えているか?

別の文化をそのまま自分の仕事に取り込むのは好まないというテイモア氏。あくまで技術を利用するのであって、『ライオンキング』も日本の文化をそのまま取り入れたわけではなく、日本のインスピレーションを受けて創られたものです。

我々がどこかへ行ったとしたら、そこで学んだことを自分たちの中に取り込んで消化した上で、新たに何かが生まれるのだそうです。よって、もし歌舞伎役者さんに自分の作品に出演してもらうとしたら、その役者さんたち自身が歌舞伎らしさを出すのはいいけど、自分の思った歌舞伎をやらせて「歌舞伎」と呼ぶのはしたくないとのこと。

「歌舞伎」として取り入れるのではなく、何か新しいものとして表現するのはありだとテイモア氏は仰っていました。

2:シェイクスピアの作品を今後やるとしたらどう演出するか?

テイモア氏はシェイクスピアの作品を3本手掛けています。作品を熟知するためには映画よりも先に舞台をやるそうです。それによって余計なものをそぎ落とせるからとのことでした。

逆に映画だと、劇場とは違ってロケーションに行くことができます。たとえば、女の子がレイプを受けるシーンを映画でわざわざ描く必要があるのでしょうか。映画の場合は、火事があって焼け焦げた沼地にロケに行ってそこに女の子を座らせれば、それによってこの環境での女の子の心情を表現することができます。別に実際にレイプを受けたシーンを描かなくても、ロケーションで人物の心情を表現できるのです。そのため、シェイクスピアの作品をやるときには、まずロケーションを探すことをしたそうです。

ゆうき
ゆうき

当時のレポが情報不足で、Qに対するAが噛み合ってないです…すみません。

3:『ライオンキング』を上演し続けるにあたって受け継いでいってほしいことは?

役者さんたちには、疲れちゃうかもしれないし飽きちゃうかもしれないけど、自分のためにやってほしいそうです。お客さんのためにもだし、何より自分のために。そういう精神で儀式(=演劇)に参加することが大切だとテイモア氏は仰っていました。

そして劇団四季の『ライオンキング』カンパニーには話したそうですが、リアリティーを感じてほしいというのもテイモア氏の願いです。危険なシーンでは、決して笑いを狙うことなく真剣にやってほしいとのことです。

また、テイモア氏のモットーに1つに「エレベーター」があります。たとえば、12階までのエレベーターがあったとします。作り手もお客さんも何階にも降りることができます。しかしお客さんが3階で停まってしまったとしても、作り手は同じように3階に留まるのではなく12階まで行ってほしいそうです。これは観客の求めているものを創るのではなく、その上を行くものを創ってほしいという願いからです。もちろん、できることならお客さんたちにも12階まで来てほしいとのこと。

当然12階までついてこられる人もいれば、ついてこられない人もいます。特定の人に向けて作品を創ってしまうと、特定の人にしか響きません。そういう意味でも、観客の求めるものよりも上を行くものを創るようにしているのです。

また、『ライオンキング』は子どものための作品ではないと語るテイモア氏。もちろん子どもにも観てほしいけど、でも「子どもだから」という見下し方はしたくないそうです。子どもたちは私たちが思っているよりもたくさんのことを考えています。だから、全員が理解はできなくても、理解できる部分をピックアップしていくそうです。

たとえば『ライオンキング』で雌ライオンが目から白いシルクを出すシーンがあります。ムファサの死を悲しむ雌ライオンたちの涙をシルクで表現しているのです。これを観て笑う人もいますが、子どもたちにはそれが涙だと分かるんだとか。

なぜ『ライオンキング』が成功しているのかというと、色んな層のお客さんに向けて創られている作品だからだとテイモア氏は訴えました。

4:今日の世界の子どもたちのことをどのように考えているか?

講演の中でもテイモア氏は子どもの現状について言及していましたが、ここでも現在の子どもたちの生活を危惧していました。

子どもが騒がないようにPCの前に座らせて映像を見せたりゲームをさせたり、そういうことが当たり前になってきている世の中が心配で健全でないと感じているテイモア氏。たとえば、夕飯のときに家族が難しい話をしていたとしても、子どもたちには理解はできなくても会話に参加してほしいそうです。

子どもにiPadを渡してゲームをさせることは、健全などもが育つ環境ではありません。たとえ車に乗っていたとしても、車の外を見ずにずっとゲームをしている子どもは多いです。

テイモア氏は若い頃に1人で旅にも出掛けたし、それを「怖い」と感じたこともなかったとのこと。旅をすることで色んなことを学べます。自分が居心地が良いと思う環境から外に出ることで、たくさんのことを学ぶことが出来ました。

しかし今の子どもたちはそれすらしない。守られた環境の中で生きて、色んな人とコミュニケーションをとる可能性が増えたにも関わらず、閉じこもってしまい、それすら実行しなくなりました。アメリカでは外に行かない環境が増えたことが残念だと仰っていました。

また、Facebookの「いいね」のシステムにも恐れを抱いていたテイモア氏。「いいね」が1,000個もついたと喜んで、人気があると感じるのはとても危険なことだそうです。こうした反応数を軸に、個人のバロメーターを決めるのは良くありません。今の子どもたちには非常に多い指標のように思えます。

そして最後に、テイモア氏はクリエーターとして「望んでいるものを与える」ということをしたくないと話してくれました。これは先程のモットーであるエレベーターの話にも繋がってきます。逆に「自分はこれが欲しかったんだ」と、本人が気付いていなかったものを与えることが好きだそうです。本人自身もそこに行きたかったんだということに前もって気付けなかったところへ連れてってあげたいというのが、テイモア氏の考えであり願いでした。

「安全」にはあまり興味がないそうで、『ライオンキング』が始まった当初も成功するかどうかはテイモア氏にも分かりませんでした。でも、リスクを冒してみるというのはとても大切なことだと仰っていました。こうしてテイモア氏による、「安全・無難」とは程遠いチャレンジを続けたことによって、今日まで『ライオンキング』はロングランを続けてきて、老若男女問わずたくさんの人に愛されてきたのでしょう。

こうして、テイモア氏による1時間10分の講演会が終了しました。本当にどれも素晴らしいエピソードばかりで、非常に胸打たれたのを今でも覚えています。

テイモア氏の講演会から感じたこと


私がどうして5年前のジュリー・テイモア氏の講演会レポを今更リライトしたかというと、2020年5月15日にBroadway Musical『FROZEN』がクローズとなったことを受けてでした。同じディズニー作品でも、どうして『ライオンキング』はこんなにも愛され続けているのだろう…。そのヒントはもしかしたら、過去に参加したテイモア氏の講演会にあるかもしれない!と思い、読み返してみました。

すると、演劇の力はこんなにも凄いということをテイモア氏が熱く語ってくださっていたことを思い出して、これは今の時代に伝えていかなければならないと強く感じたのです。だから、拙い当時のレポをできるだけ読みやすくして、再び皆さんにお届けしようと思いました。

コロナの影響で演劇業界が大きな被害を受けている今、改めて演劇の役割を認識することが出来てとても嬉しかったです。

劇場という空間は本当に不思議なもので、まるで魔法にかかったかのように目の前の出来事を自然に受け入れさせてくれます。『ライオンキング』に登場するキャラクターの多くが、演じている俳優さんが見えるのにまるで見えていないかのように素直に物語に没頭できる。まるでキャラクターに感情移入したかのように、涙を流したり笑ったりすることができる…。

これらはすべて劇場という空間で、実際に物理的に触れているからこそ実感できることなのでしょう。PCの前にずっと座りっぱなしでは絶対に得られない感覚です。

そして劇場という制限の大きい空間で、制限のない舞台を創る。クリエイターとしての意識の高さを感じて、どうして『ライオンキング』がこんなにも多くの人を魅了してきたのかを改めて知ることができました。ジュリー・テイモア氏は本当に偉大なクリエイターだと思います。

こうして演劇に熱い情熱を注ぎ、作品を通して私たちにメッセージを送り続けてくださっている人がたくさんいます。だから私たちはそれを受け取ると同時に、演劇を愛して、支えていく必要があると感じました。今、私たちにできることは多くありません。しかし無事に劇場に行ける日がまた訪れたら、私たちは演劇を通してたくさんのものに触れて、たくさんのことを感じていきたいです。

だから、演劇の役割は決して娯楽の部分だけではありません。私たちに「生きること」の素晴らしさを教えてくれるメディア(媒体)であり、生きる上で必要不可欠な大切な存在なのです。

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