最愛の祖母が天国へ旅立ちました。




日常ブログ
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私の母方の祖母が2020年6月24日8時45分、この世を去りました。

享年83歳。
胃癌を患っていました。

癌が見つかったのは今年3月上旬だったかな。
末期の癌で、4月に手術をしましたがもう手遅れの状態でした。

胃癌が見つかった当初は余命半年から長くて1年。
しかし手術後には余命3ヶ月と宣告されました。

頭が真っ白になりました。
残された時間、少しでも祖母との時間を大切にしたいと思いながらもこのご時世で祖母のいる栃木に帰省することも許されす、病院は面会もできず、電話やLINEでのやりとりが主でした。

日に日にやつれていく祖母の姿を見るのは非常につらかったです。
最後の1ヶ月くらいは「つらいから早く楽になりたい」と弱音をこぼすようになりました。

その言葉を聞いていると、生きてほしいと願うことは祖母に苦痛を強いることなんだと思いました。
早く楽にしてあげたい気持ちと、生きていてほしい気持ちのせめぎ合いでした。

祖母を想うたびに涙が止まらなかったです。

祖母に会っているときや電話をしているときは何とかして涙を見せないように笑顔を作って、祖母に心配かけないようにして、残り少ない時間をちょっとでも楽しいものにしたくて、涙を必死に堪えました。

祖母が再入院をしたその週の金曜日、6月19日。
祖母とLINEでビデオ通話をして、時間にしたら20分程度でしたが、たくさんのことをお話ししました。

最近はよく病院でガリガリ君を食べているという話。
闘病中でもちゃんとスキンケアをしているという話。
小さい頃から色んなところに一緒にお出掛けした思い出話。
ゆうきに美味しいご飯を作ってあげたかったという話。
美味しいご飯をたくさん食べさせてくれたねという話。
ちゃんと食べないとダメだよという叱咤激励。
面会が可能な部屋に移ったら、次は会いに行くねという約束。

お互い笑顔でバイバイと手を振りながら通話を切り、次また電話できる日やいつか面会できる日を心待ちにすることができました。
なんだ、まだ元気だからこのまま回復するんじゃないかな…なんて思いました。
それくらい、祖母は元気に電話に出てくれて、私と楽しくお話をしてくれました。

それから祖母を少しでも喜ばせようと、翌週の月曜日に妹が作り置きしてくれた肉じゃがの写真をLINEで送って「ちゃんと食べてるよ」アピールをしつつ、「また今度電話しようね」と送信。
「偉いね」とか「ちゃんと食べてるね」っていう嬉しそうな返事が来るかなとか、少しでも元気づけられたかなとか、色んなことを考えながら祖母からの返信を待ち続けました。

しかし、その返事が来ることはありませんでした。

そのLINEを送った2日後の24日・水曜日、朝9時頃。
母から電話が来て、「ばあばが亡くなった」と言われました。

寝起きだったこともあってか「そっか…」と思うことが限界で、涙もすぐには出てきませんでした。
多分、放心状態だったと思います。

祖母がこの世からいなくなったことがまったく実感湧かなくて、受け止めることも受け入れることもできませんでした。

その後母から葬儀の日程が決まったと連絡が入り、急いで木曜から月曜まで忌引きの特別休暇をいただき、葬儀の前日の木曜に栃木に帰省。
ずっと会いたかった祖母に、ようやく会うことができました。

棺の中で眠る祖母は本当にちっちゃくて、凄く安らかな顔をして笑っているみたいでした。
やっと楽になれたんだねと思うことができたと同時に、本当に死んじゃったんだねとこの時ようやく祖母の死を実感しました。
涙が止まりませんでした。

葬儀当日。
本人の希望を尊重して、宗教に囚われない家族葬で「お別れ会」を開催。
きっとお坊さんがお経なんか読み上げたら、祖母が嫌そうな顔をするのが容易に想像できました。

お花が大好きだった祖母は、顔以外全部隠れてしまうくらいのお花に囲まれて、みんなに見送られながら天国へと旅立っていきました。

葬儀を終えて祖母の家に帰ると、至るところに祖母のぬくもりを感じて、つらかったです。
もうこの家に帰ってきても祖母の「おはよう」も「おかえり」も聞くことができないのか、と。
もう祖母の美味しい手料理を食べることもできないのか、と。
もう、祖母に会えないのか、と。

祖母が可愛がっていた猫も、「お母さん」がいなくなったことを感じ取っていたのか、寂しそうにしていました。

祖母の思い出や生きた証がたくさん残されたこの家にいることで、ようやく祖母がもうこの世にいないことを強く実感するようになりました。
あの時ああすれば良かったな…とか、もっとこうしてあげれば良かったな…とか。
たくさんの後悔があって、悔しくてたまりませんでした。

このどこにもぶつけられない後悔は、どうやって消化していけばいいんでしょうね…。

両親が共働きで、幼稚園が嫌いで不登校だった私は、祖母の家に預けられていて、赤ちゃんのときから祖母と一緒にいる時間がとても長かったんです。
多分、母よりも一緒にいる時間が長かったと思います。

実家は日光でしたが学校が宇都宮だったのもあって、宇都宮にある祖母の家に毎朝来て、そこから学校へ通って、学校が終わったら祖母の家に帰って、夜に母が迎えに来て日光に帰る…という生活を送っていました。
だから毎晩、祖母が美味しいご飯を振る舞ってくれて、一緒にテレビを見て笑って、一緒にお風呂に入って、時にはお泊まりもしました。

一緒にお出掛けもするし、旅行にも両親抜きで祖母と行ったこともあります。
それくらいおばあちゃん子で、祖母と一緒にいることが当たり前でした。

大学入学と同時に東京へ移り、その後は長期休暇にたまに顔を出す程度となりましたが、それでも祖母は変わらず私に愛情をたっぷり注いでくれました。
本当に愛情深い人で、人はもちろん、動物にもお花にも愛情を注いでいて、凄く温かい人でした。

だからもう、私にとって祖母は母以上にお母さんのような存在でした。

小さい頃から一緒にいたから思い出が多すぎて、もう思い出せないほど祖母との思い出でいっぱいです。
それだけにこの最愛の祖母との別れは今でも受け入れられず、心に空いた穴を塞ぐことができていません。

祖母の死からもうそろそろで1週間が経とうとしていますが、今でもふとしたときに涙が溢れます。
祖母からの返信が来なかったLINEも、開けずにいます。
スマホのアルバムに入れた祖母の写真を眺めては、涙が込み上げます。

こんなんで、いつか祖母の死を受け入れて、乗り越えることはできるのかな…と確信が持てません。

でも。
きっと思い出を整理していったり、振り返ってみたりしながら、時間と共に受け入れて、乗り越えていくんですよね。
それができるのがいつになるのか、全然分からないですけど、きっといつか、祖母の死を乗り越えて生きていく日が来るんですよね、多分。

あまりにもこんなに身近な人の死が初めてだったので、正直めちゃくちゃ混乱していますし、もうどうしたらいいか分からないです。
「死」がこんなにも怖くて悲しいことだと、今初めて強く感じています。

祖母がいなくなる未来をまったく想像していなかっただけに、突然訪れた祖母との別れは、あまりにも残酷すぎました。
だけど、それでも残された私たちは生きていかなければなりません。
本当に残酷なことですが…。

とりあえず今はたくさん泣いてたくさん落ち込んで自分の気持ちを大切にしながら、自分にできることを少しずつ始めていきたいです。

残された私にできることは、祖母との思い出を大切にすること。
祖母から与えられた愛情を忘れずに、自分の大切な人たちを同じように愛すること。
何よりも、祖母が愛してくれた私を、自分を大切にすること。

これが、今できる祖母への最大の恩返しだと思いました。

幸いなことに、私の周りには本当に温かくて優しい人がたくさん集まっています。
なんでこんなに私に優しくしてくれるんだろう…っていうくらい、優しい人たちの集まりです。

祖母もきっと、喜んでくれると思います。
「ゆうきはいい子」「ゆうきは性格がいいね」「ゆうきは可愛いね」って祖母はたくさん甘やかしてくれたので、甘やかされすぎて人間としてだらしないところも多いんですけど、そんな私を受け入れてくれる人もたくさんいます。

私がうつ病で苦しんでいたときも、祖母は「ゆうきに美味しいものを食べさせてあげたい」と言って、ご飯を振る舞ってくれました。
全然ご飯を食べなくて倒れたことも何度もあって、祖母に心配をたくさんかけてしまいました。

だからもう、天国でも祖母が心配し続けることのないよう、まずは私自身を大切にできるようにしていきたいです。
「ちゃんとご飯食べてるから安心してね」「ちゃんと毎日楽しく生きてるから見守っていてね」と、声をかけてあげられるように。

祖母と最後に会った日に言われた、「ママを大事にするんだよ」という言葉を、守っていきたいです。
「ちゃんと親孝行してるよ」と、胸を張って言えるように。

人間、後悔しないようにと思っても、やっぱり後悔しないなんてことは無理なんです。
でもその限られた中でしてきたことは、少なくとも今の自分の活力になりますし、一生の思い出となります。

祖母と過ごせた26年間は、本当にかけがえのないものでした。
私は、私の祖母がこの人で本当に良かったと思っています。
こんなに愛情深くて優しくて温かい人が私の祖母で良かったと思っています。
私の自慢の祖母です。

きっと今は、苦しみから解き放たれて天国で楽しく旅行を満喫したり美味しいものを食べたりしているのかな。
先に天国へと旅立っていったわんちゃんや猫ちゃんたちに囲まれて、一緒に楽しく暮らしているのかな。

何十年先になるか分からないけど、またいつか、祖母に会うことができるのかな。

その日まで、私は私の人生を全うしていきたいです。
祖母に愛されながら育ったこの人生を、もっと豊かにできるようにしていきます。

こんな私をたくさん可愛がってくれてありがとう。
こんな私をたくさんお世話してくれてありがとう。
こんな私にたくさん美味しいご飯を食べさせてくれてありがとう。
こんな私に生き物の大切さを教えてくれてありがとう。
こんな私をたくさん愛してくれて本当にありがとう。

伝えたいことはまだまだたくさんあるけど、きっと聞き疲れちゃうと思うから、この辺で。
今は天国でゆっくり休んでね。
それから、これからもこんな私をどうか天国から見守っていてください。

大好きだよ、ばあば。
本当にありがとう。

ゆうき

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