2016年12月21日マチネ 劇団四季『ノートルダムの鐘』




ノートルダムの鐘
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ゆうき
ゆうき

年内見納め観劇のつもりだったんです…本当は。

日時:2016年12月21日マチネ公演
場所:四季劇場[秋]
座席:1階S席7列17番




はじめに

twitterで今回の公演のチケットをお譲りいただきました。
前方席で観たい気持ちはあったけどなかなかチケット手に入らなかったので凄く嬉しくて…。
しかも完璧なドセンだったため、初めてクワイヤも見切れることなく全体を正面から観ることが出来ました…!
こんな素敵な席で見納め出来れば幸せだなー、と思ったためにこれを年内見納めの観劇に決めました。

ということで、年内最後のため次の観劇はしばらく先になるので今回もしっかりレポしていくつもりです。

↑って思ったんだけどキャス変で私が持ってる年内のチケットの日、岡村さん来たのでやっぱり行くことにしました(笑)

キャストの感想

気になったキャストの感想を書いています。

カジモド:飯田達郎

今回も達郎さんのカジモドにやられました…。
しっかり表情も観れたから余計に細かい仕草とか演技まで観ることが出来たので感動です。
前回達郎さんのカジモドは子供みたいだって言ったんですけど、子供よりも純粋な青年って感じでした。
ここまで純粋な人っているのだろうか…と思うくらいに凄く純粋なんです。
エスメラルダが最期にカジモドを見て「あなたも美しい」って歌うんですけど、その言葉に凄く頷けるくらい。
達郎さんってこんな優しい表情出来るんだって思うくらいエスメを見る表情が凄く柔らかくて。
それと同時に、エスメが自分に振り向いてくれないと知った時の切なそうな表情にもやられて。
もうその切ない表情っていうより寂しそうな表情がとにかく可愛いんです…。
やばいんですよ…凄く可愛くて。
そして今回何より、達郎さんのカジモドがいいなぁ…と感じたことがありまして。
Out Thereで歌い始めはあの喋りにくそうなカジモドそのままで歌い出すんですよ。
でも「死ぬまでここでひとり」っていう歌詞のところから突然綺麗に歌い出すんです。
ここの切り替えが凄く私個人的にグッと来て、良かったです。
前回のブログでも書いたんですけど、達郎さんカジモドはガーゴイルたちに話しかける時に喋り方が変わるんです。
今回観ていてそういう切り替えというのがよりはっきりと強調されていたように感じました。
ガーゴイルが話すっていうのはフロローやエスメには見えない、幻覚のようなものだと思います。
カジモドにしか見えない「秘密のお友達」なので。
だから、ガーゴイルと話している時のカジモドって幻の世界というか空想の世界のようなところにいると思うんです。
現実とは離れたところにいて、そんな彼らと話している時のカジモドっていうのは「怪物」ではないんです。
そういう意味でも怪物らしい喋り方ではなく、ひとりの人間として不自由なく喋ることが出来るんだと感じました。
それが歌でも現れていて、歌い出しが怪物なのに突然人間のように歌い始める。
要するにカジモドが空想の世界に浸り出したことの現れなのかな…と。
思えばカジモドがソロで歌うナンバーのほとんどは自分だけの時とかガーゴイルに囲まれている時とか。
他の人間を介入しない場合が多いため、怪物として歌わなくてもいい…人間に戻ることが出来る。
そういうことなのかなぁ…と思いました。
そんな細かい部分とかにグッと来ることが多いので達郎さんのカジモドはやっぱり素敵です。
カテコでようやく人間らしい笑顔を見せる瞬間にはなんかホッとしちゃいます。

フロロー:芝清道

芝さんのフロローは観るたびに怪物となっていきますね…。
この作品で描かれているテーマの中に怪物と人間の違いってあると思うんです。
で、フロローは要するに人間の形をした怪物なんです。
「私には呪いがかけられている。それは自分が人間であるということだ」みたいな台詞があって。
その時の芝さんのフロローはまさに人間の身なりをした怪物そのものでした。
まるで自分を制御出来ないような…欲に支配され本当の自分を失っていくような。
そんな恐ろしさが、エスメに迫る時のフロローに感じられました。
芝さんの演技本当に凄くて…優しいんです、本当のフロローは。
そのこともしっかりと伝わってくるし、だけど抑えきれない欲に徐々に我を失っていって。
怪物へと染まっていってしまう、そんな人間の自我の消滅のような恐怖を凄く丁寧に演じられていました。
本当に鳥肌ものでした…。

エスメラルダ:岡村美南

もう何も言えることがない…。
いっつも長文になっちゃうくらい伝えたいことあるんだけど。
もう…伝えても伝えても伝えきれなくて。
今回も色々と伝えたいことあるけど、やっぱり自分の文章力が無理があって。
まぁ…とにかく岡村美南さんは私のこと惑わしすぎだということです。
ただ、やはりエスメの素敵なところって人間の本質を見抜けるところだと思っていて。
散々怪物と罵られてきたカジモドを、最初こそ驚いたけど普通の人間のように接し。
そしてフロローを怪物だと恐れる。
彼女にはその人の本当の姿がしっかりと見えている。
だから、最期にカジモドを「美しい」と言ったのかな…と思ったら泣けました。
エスメはカジモドの言葉を一度も否定したり笑ったりしないんです。
ガーゴイルが話すと言っても、エスメは笑ったりからかったり否定したりもせず、ありのままに受け入れてくれる。
なんなら、「あなたのお友達、好きよ」と言ってくれる。
そういう彼女の優しさが、岡村さんの優しく抜けていくような柔らかい声色で表現されていて。
聴くたびにキュンキュンしちゃうんです…ずるいです…。
それから、やっぱり恐怖を感じて顔を歪める、その流れが凄く素敵で…。
どこまでも気高くいようとするけどその強さがポキッと音を立てて折れる瞬間にグッときます。
ギャップというんじゃないけど、強い勇敢な女性が弱さを見せた時ってやばいですね。
その怯え方とかが凄くリアルで、岡村さんって「演技をしている」ように見せないのが本当上手です。
やっぱりこの人は凄く表現者だなぁって、改めて感心してしまいました。

フィーバス:清水大星

エスメはフィーバスのどういうところに惚れるんだろうってどんなに考えてもなかなか分からない。
清水さんのフィーバスは、勇敢って言葉が凄く似合うと思いました。
そういうフィーバスの男らしさに惹かれたのかな…と考えてみたりもしてます。
清水さんの場合、遊び人っぽさのカケラもない真面目なフィーバスだからどんな言葉も信じられるような安心感とかがあるんです。
そりゃフレデリックも忠誠心を見せるしエスメだって惹かれていってもおかしくないな…と。
ただ、やはりカジモドがどこまでも一途にエスメを愛し続けたから、どうしてもフィーバスがずるいと思ってしまう気持ちもあります。
カジモド、フロローが中心に描かれているのでフィーバスももっと掘り下げてほしかったな。

クロパン:阿部よしつぐ

胡散臭さ半端なくていいですね、よしつぐさん。
実は凄く苦労人というよりも弱者?といった方がいいかな、そういう雰囲気凄く漂わせてる。
彼が笑顔を見せるのってほぼほぼトプシーダーヴィーの時くらいなんですよね。
実はほぼ笑っていなくて、それでも1月6日というたったこの1日だけを楽しく生きようとしていて。
祭りの裏で行われるクロパンとエスメのやりとりでは常に険しい表情で、その温度差が凄く良くて。
仲間思いだしなんだかんだエスメのこともしっかり心配してあげたりしてて。
凄く険しい人なんだけど優しさも持っているのが好感持てるし、その演じ分けが凄く上手だと思います。

まとめ

今回はいつもよりしっかり書くつもりが逆にちょっといつもより少なかったかも。
これ途中までは22日くらいに書いてたんですけどなんだかんだで日が伸びてしまって。
気づいたら26日になってキャス変があってまさかの岡村さん続投だったので。
本当はこれで見納めのつもりだったのにまた行くことになったので、急いでブログ書きました。
だからどうしても色々と雑になってしまったところがありまして…。

次回が本当の年内見納めとなるので、しっかりと書きます、ほんとごめんなさい。
でも今回の席、本当に凄くど真ん中だったので全体が見やすくて。
前方席だと柵や階段が出てくるシーンで奥側がどうしても観にくくなってしまうのだけど。
それでもやはり迫力は全然違いました。
なんとなくだけど、やはり10~15列あたりが一番観やすいと思います。

この作品、凄く重くて深いから観たあとの余韻とか凄く半端なくて。
色々と考えされられるんですね。
何より、そんな物語の中心人物として岡村さんが出演されているから余計に。
彼女は何一つ悪いことなんてしてないのに、死ななければならなかった。
心を怪物に食われてしまった男のせいで…。

人間と怪物、どこに違いがあるのだろう…?
違いって実はないんだろうな…。
誰しもが怪物になってしまうかもしれないという恐怖を描いている作品だと思います。
真の怪物とは、容姿が醜い人のことを言うのではなく心が邪悪な者のことを言うのだと。
そう結論づけていて、それが最もな答えだと思いました。

些細なことがきっかけで人生を狂わせてしまう人間たちを描いていて。
これをフィクションとして観るより、自己啓発的な意味を含めてしっかり観ていきたいと思いました。

観れば観るほど深く理解していき好きになっていく作品です。
次こそ年内ラストの観劇となり、またフロローやクロパンがキャスト変わっているのでそれも楽しみです。

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